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代表挨拶

代表取締役社長

こんにちは。田中いずみです。熊本県生まれの熊本育ちです。

なぜ私が探偵になったのか、探偵をする意味、そしてなぜFCをするのか。を知っていただきたく、私の人生を通してお話しさせていただきます。

あなたは明日死ぬかもしれない今の人生を毎日楽しんでいますか?仕事にやりがいを感じていますか?
そしてそれは誰の為にしていますか?自分のため?家族のため?お金のため?それともなんとなく?
ただただ毎日が同じように過ぎていく。日常を乱されない日々がなんとなく心地よく感じる、いわゆる平凡な日々。それが一番幸せだったりもします。私もそう思っていました。
でも私はそれを突然奪われ、私が生きる意味というものを考えさせられることがありました。

 私が中学校3年生の冬、父と母は離婚しました。
今思えば離婚する直前では話がまとまっていたのか喧嘩も少なくなっており、ある朝私が起きると父の姿はすでになく、母から「離婚した。」とだけ告げられ、私はいつも通り学校へ行きいつもの学校生活を過ごすつもりでした。しかし自分で堪えていたものが堪えきれず、教室のカーテンにくるまり泣いてしまいました。その時の私の心の中はぐしゃぐしゃでした。父と母は大好きなのに、一緒にはいられない悲しさ。それとは真逆で母を泣かせた父が許せなく嫌いでもありました。それから私は一切父とは会うことはありませんでした。

 当時母はがむしゃらに働いていたのだと思います。私は高校、大学へと進学させてもらい、勉強も遊びもバイトも全て楽しんでいました。そんな中私にも彼氏ができました。彼とは同じ大学で、笑うツボも同じ、面白くて一緒にいて変に気を使うことのない人でした。そしてバイトも同じところで始め、バイトが終われば一緒にご飯を食べ、遊び、貯金ができない私の為に一緒にお金を貯め海外旅行に行き、いつしかお互いの親とも仲良くなり、お互い結婚の話まででるほどの仲までになりました。しかしそんな私たちにも4年が経ち別れの時がきました。それでも私たちの真の繋がりは途切れることはなく、大学を卒業しそれぞれに就職し、いつものようにご飯を食べに行き、遊び、笑い、そんな日がいつまでもずっと続くと私は思っていました。
仕事が終わり、いつものように携帯を見ると99件の着信が残っていました。
掛けなおすと、友達の「すぐ来い!」の言葉が意味するもの、この目で確かめるまでは真実を認めたくない。
どうか命だけは。と初めて神に願い、雨の中を泣きながら走り、彼の元へ行きました。
願いは届かず、彼からの最後のメールが届いていました。
「苦しいよ。助けてほしい」と。

私は何をしていたのだろうか。自分の無力さを痛感し、当たり前の毎日が突然閉ざされ、彼にはもう一生会うことは出来ない、辛すぎる現実を受け止めきれず、毎日泣いていました。彼と生きてきた意味、これから生きる意味を何年も考えさせられ、この後悔は一生消えることも、忘れることもありません。

 そんな前に進めない私を救ってくれた人がいました。それは夫となるちょっとやんちゃな人でした。自由な人でどんなことがあっても生き抜いていけそうな頼りのある人でした。そして彼との間に子供ができ、結婚しました。
夫婦になる意味、親になったからこそわかる思い、あれからずっと会っていなかった父に会いにいきました。
父は喜んでくれました。それから父とは今までの空白を埋めるかのように連絡を取るようになり、孫にも会わせることが出来ました。

3人の子供に恵まれ、夫は仕事に専念し、私は育児、家事、仕事と慌ただしい毎日をこなしていました。
が、休みなく一生懸命にこなす毎日にストレスを感じ、子供が言うことを聞かないと怒鳴り、きつく当たり、手をあげ、それでも「ママ、ママ」と笑顔で近寄ってくる子供たちに対して優しくなれず、寝かせ付けた子供の顔を見ながらしか私は「ごめんね」ということが出来ず、それを繰り返していました。

何をしているのだろうと、フッと脱力を感じた日、小学校の頃の将来の夢を思い出しました。

そういえばあの時、お菓子を作ることが好きなのと、先生やお友達が喜ぶ顔を見るのがとても好きだったなと、思い出し、だからお菓子屋さんになりたいとずっと思い続け、大人になってからも母と二人で小さなCAFEでもいいから出したいね、と語っていた、けれどいつしかその思いはどこかへ追いやられていたのだと気づきました。
それから私の中でその思いは沸々と蘇り、夢から現実へと動き始めました。

 もちろん初めての経営で人を育てたこもなければ、経営のノウハウも全くわからず、お金も借りなければならない状態で不安しかなかったのですが、私のこの思いだけは常に強く持ち、私の中で覚悟は決めていました。その事を知った人たちが手を貸してくれ、仕入れ先を紹介してくれる人、トレーニング、コーチングのやり方、仕組み作りを教えてくれる人、たくさんの人が協力をしてくれいろいろと順調に進みました。最後、問題は子供たち。
朝から夜遅くまで営業することを決め、下二人の娘たちにそのことを伝えると、イヤだの一点張りでした。そして当時小学校4年生だった息子に私の思いを伝えると、こう言いました。
「ママの人生だから、ママが決めていいんだよ。ママを応援する」と。
まだまだ子供で、毎日毎日バタバタした生活をしてきたのに、こんなにも成長したのだと嬉しくて嬉しくて泣きながら息子を抱きしめました。

そしてCAFÉも二店舗目を出すほど順調にいっていた2016年の4月に起きた熊本地震。
自宅も店舗も被災しライフラインも止まり、いつ営業再開できるのか、いつお客様が戻ってきてくれるのかわからないまま赤字営業は続き、そんな中FCで探偵をしないかという話が舞い込んできました。

 そもそも探偵の仕事をしてみたいと考えたこともなく、当然どういう仕事なのかもわからず、CAFÉの経営も危ぶまれ、従業員の生活を守らなければならない状況で決断を下され、私は探偵をする決意をしました。
いろいろと教わりながら経験を積み重ね、勉強し、法律を覚え、悔し涙を流しながら苦難を乗り越え遂にFCの会長が認めてくれるまでに登りつめ、全国で常に№1を取るまでになりました。新規加盟がある度に私の元へ研修に来たいと依頼が絶えず、探偵もうまくいっていました。
が、私の人生にまた悲しみがやってきたのです。

 2019年3月夫は大動脈解離のため突然亡くなりました。その姿はいつものように寝ていました。42歳でした。まだまだ子供たちの成長を見たかったと思います。まだまだ生きたかったと思います。
 そして残された者の現実は厳しく、私はこれからひとりで家族を守らなければならない状況に立たされました。
しかし唯一私の力強い支えとなったのが探偵でした。探偵がなければ確実に私と子供たちは路頭に迷うことになっていました。

そして震災やコロナを経験した際も探偵の依頼は多く、世界情勢に左右されず、そして不倫問題は男と女がいる限りなくならない、そういう問題を解決し依頼者に希望を持たせその人の人生を守ってあげる仕事、探偵が私のすべてだと確信しました。
本当に今までいろいろとたくさんの経験があったからこそ依頼者の苦しい思い、人には話せないことをじっくりと聞き、その人の立場、その子供の立場に寄り添い、依頼者の人生を救うことが私の使命であり、やりがいとなっています。

困っている人がみんな探偵にまだ辿り着けていないのが現実です。それを何かあればすぐ探偵、となるくらいまで、依頼者との距離を近づけたいという思いからFCを立ち上げました。
依頼者の人生に光を見せ自分の人生をもっと大切にして欲しいと思い常に依頼者には今日も言い続けています。

私は一度の人生を毎日思いっきり楽しんでいます。
私と一緒に楽しく、やりがいを待ち仕事をしたい方をお待ちしております。

ミス・シャーロック株式会社 代表 田中いずみ

ミス・シャーロック株式会社
 代表 田中いずみ